大仏供養物語
(有朋堂文庫「御伽草紙」による。振り仮名省略。入力:菊池真一)
大仏供養物語
春乗房重源東大寺やうやく勧めつくりて入唐す。帰朝のとき極楽の曼荼羅、五祖の真影をわたし奉り、東大寺半作の軒の下にて、法然聖人御導師として、供養あるべきよし風聞あり。しかる間建久六年乙巳十一月廿八日と定めおかれし事なれば、東国大将殿を初めまゐらせて、宗徒の大名千葉、北條、畠山、宇都宮を初めとして、大名高家三百八十四人、其外数をしらず。又鎌倉殿の北の御方を初めまゐらせて、畠山の内様、宇都宮の内方は鎌倉殿の北の御方には妹御前にてまし/\ければ、申すにおよばず、大名小名の女房達、法然聖人の御説法聴聞せんとて、六百人ときこえし。充上臈達には帝王を初めまゐらせて、関白殿卿上雲客籠居日みす達を始めまゐらせて、南都へ輿車をやりつゞくるぞおびたゞしき。其外大和、山城、和泉、河内、近江、越前よりまゐりつどふ聴聞者は、いくらと云ふ数をしらず。かゝる所に法然聖人鎌倉殿へ案内を申されけるは、承り候へば供養の御導師に源空をめされ候ふべき由候ふ、尤も導師にめされん事面目と存じ候へども、浄土門をとり立てて、愚癡闇鈍の衆生を仏道なさんと営み候へば、山の大衆不思議の法然房、外道の法をとり立てて、衆生を地獄へおとさんとせらるゝ不思議さよとて撰択の形木をうちわりし刻に、黒谷を退出せられ、当時は大原にすみ候ふ、まして導師つかまつると聞えては、広座とも憚る事は候はん、狼藉仕り候はん哉、かゝる大事の御供養に障碍をなさん事口惜しかるべき事に候ふ、余の御導師をめされ候へ、源空におき候うては叶ひ候ふまじきよしを申されければ、鎌倉殿頼朝のはからひたるべからずとて、当帝へ奏問せらる。帝王を初めまゐらせて公卿殿上人、さていかゞあるべきと詮義したまふ。大宮の左大将忠光の公の申されけるは、白河の院の仰せにも何事も丸が心にそむける事はなけれども、賀茂河の水と双六のさいと山法師の心、これ三つは丸の心に叶はぬ物ぞと仰せられし事なれば、今もかくこそ候はんずらんめ、さ候はゞ天台座主をめされ候へと申されければ、しかるべしとて、天台座主を召さるべしとぞ聞く。奈良法師此事を承り謂候はず、其義ならば我寺の得業こそ御導師はせらるべけれ、ゆゑいかんとなるに、聖武皇帝の御ちぎり浅からざりし三台女御に過ぎおくれたてまつり、御歎き深かりしに、死出の山より郭公に女御の御歌を誦みて、娑婆ヘ言伝られし事ありしぞかし、
其歌に云く、
わくらはに問ふ人あらばほとゝぎす死出の山をばひとりこそ行け
と仮名に書きて、郭公の足にゆひつけてつかはされければ、卯月八日に内裏の上を鳴きめぐるを、公卿殿上人鞠の会ありけるが、初音めづらしく聞ゆる物かなと、雲井を御覧ずれば、文をくひきつて落したりければ、大臣達不思議と思召し、是をとりて帝王に奏し申しければ、是を開き御覧ずるに、女御の御手跡にて此歌をよみ給へば、御涙にむせばせ給ひ、あらむざんや御存生の時は百官万乗の位にそなはり、国母女院とかしづかれましましけれども、死出の山をば只ひとり行き給ひけん事よとて、金銅十六丈の瑠遮那仏を手づからみづから鋳たてまつり、行基菩薩を御使として、中天竺より婆羅門尊者を請じ渡し奉りて、供養をとげさせ給ひたりし事ぞかし、我寺の本願を思うて得業こそ導師をばせらるべけれと申しければ、寺の僧綱是をきゝて、さらば我寺の誦源法印こそ顕密の家にてましませば、御導師はせらるべきとぞ印されける。帝王を初めまゐらせて、いづれを導師に定むべきとぞ仰せける。かゝる所に梶原、鎌倉殿の御前に参りて、地体御心せばき御事にて御座候ふ、賤しき者さへ富貴の家に生れつれば、堂を作り塔をくみて、二座三座の説法をばせさする事にて候ふ、いはんや大日本一番の大仏の御供養一座の御説法はすけなき御事にこそ候はんずれ、只三人ながら召され候へと申しければ、然るべしとて、三度の説法に定まりぬ。又一二番をぞあらそはれける。さてたれか一番の御導師をせらるべきと申されければ、山の大衆我山の上をばたが期すべき、座主一番とぞ申しける。又奈良法師の申しけるは、花族をたてんずるにたれか山に劣るべき、東大寺は聖武皇帝の御願所、興福寺は淡海公の氏寺なり、花族栄葉、南都の上をばたがおすべき、得業一番とぞ申しける。又寺の僧綱申しけるは、其義ならば我等の法印こそ九條殿の御子息に壽楽院の寛明僧正の御弟子也、顕密兼学浄行持律の御事也、法印御導師とこそ申しける。相論によつていづれを一番に定むべしともおぼしめさず。又梶原申しけるは、さらばくじを取らせ候へ、くじの籌はかた恨み候はじとて、三人の御代官をめして、足立の藤九郎くじを持ちてとらす。げに山王権現の御はからひにてや候ひけん、山は一番に取りあたる、南都は二番に取り当る、寺は三番に定まりける。さて法会の儀式には山の大衆一千人、奈良法師一千人、寺の僧綱一千人、そうじて三千人は大行道にたち、廻る錫杖の役には山より円入房に定まりぬ。伽陀の役には南都より率の法印但馬の阿闍梨、戒壇院の大夫房、円明院の式部の阿闍梨を初めとして、十二人とぞきこえし。鐃鉢の役には寺より覚乗坊、道永坊、この清僧たち我劣らじといきずみけるは、天人も影向し、堅牢地神、梵天四王龍神八部も御納受ましますらんとぞおぼえける。去程に上臈達輿車に乗りつれて御聴聞せらる。座主の御説法始まるに、近き遠きのもの一文一句にても御聴聞とおぼしき事もなかりけり。是を始めとして三座の御説法は過ぎ侍れども、たが耳に入る御聴聞更になかりけり。鎌倉殿の北の御方、大将殿へ御使をもつて仰せありけるは、東国より仏の御説法聴聞のためにはる/゛\上りて候へども、何事の聴聞事も候はねば、法然聖人の御説法聴聞申して下向し候はでと申させ給ひければ、頼朝もさこそ存じ候へとて、御使者まゐらせける。聖人も今こそ参り候ふと御返事ある。さるほどに山の大衆是をきゝて不思議の法然房の振舞かな、碩学達の御説法ありつる後に、何条の法をのぶべき、必ず浄土門をほめて余宗をそしらんとぞ思ふらん、もしさもあらば倚子より引きおとし、恥をあたへん物をとて、あらき大衆一二百人、姿をかへて聴聞衆にまじはる。聖人是をしろしめされたれども、六青の小袖のさる体なるに薄墨ぞめの衣めして、高野日笠を顔にあて、いと事もなけなる体にて入堂し給ふ。御供には小坂の善恵坊、長楽寺の隆寛引接坊、筑紫の聖光坊を初めとして、御弟子十二人にてぞ侍りける。聖人の倚子ちかくつらなり給ふ若殿三人、あないやしげの御房や、輿車にてこそまゐらるべきに、かちやはだしで見苦しさよ、是は本よりの貧僧かなんどとさゝやき笑ふ。聖人東西をしづかに御覧じて、幾千万ともなき聴聞衆を、皆死人ぞかしとおぼしめし、御涙をながさせ給ひければ、北面の下臈どものいひけるは、あれ見給へや、説法すべき智分が無くてこそ泣き給ふにやと、笑ひあひけり。聖人かね打ち鳴らし、東西をごらんじ、人の身の欲心はおそろしきものにて候ふ、碩学達の御説法のあとで、源空がまゐり候へば、何條の法を説きのぶべき、いかさま施物にこそ心をかけて参りたるらめと思召し候ふらん、それもつともにて候ふ、又聴聞衆の御耳才学宏才博覧の人あまた御わたり候へば、はづかしき御事にて候へども、一座の説法はつかまつるべく候ふ、定めて山の大衆はいかさまにも浄土門をほめて、余衆をきらはゞ恥にあたへんとぞ思しめし候ふらん、八万四千の法はみな衆生の機根にしたがひて説き置きたまへる法なれば、いづれをそしり、いづれを正しとすベきやらんおぼえず候ふ、中にも我身の体は妙法蓮華経の五字をも建立し給へる事なり、胸には八葉の蓮華あり、仏みなこれにまし/\給へり、かるが故に悪業もとより常になし、妄想転倒よりおこる、心蔵みなきよければ、衆生もとより仏なり、かるが故に法花経をそしらん者は、只我身の体をやぶるに似たり。そも/\法花経と申すは中天竺のあるじ浄飯大王の御子悉連太子、十九歳にて大道心をおこさせ給ひ、御ちぎり深かりし耶修多羅夫人をそむき、いとをしみの御子羅喉羅をふりすて、檀特山にいたらせ、阿私仙人につかへ、難行六年苦行六年し給ひて、三十成道御ぐし剃除し給ひて、釈尊とあらはれ給ふ、一字一点なりとも、この御経をあだに申すべき事なし。されば書写供養して筒に奉納し侍らんに、口に覆面をして臭き息をあてじと奉納したてまつるべし。かゝろ御経をば末代悪世の衆生等いかでかよく保ちたてまつらざらん。又真言の教と申すは、たとへば人となる事は父の●をもつてなり、いかなれば父母の●をもつて人と成るべきぞや、北斗七星延命経には、九曜七曜の星のあつまりて、作りこしらへる事なれば、大骨、小骨、肉、肝、目、ロ、耳、鼻、六根六境仏ならずと云ふ事なし、出入の息は金剛界、胎蔵界、動きはたらくこと印契ならずと云ふ事なし、就中北斗七星は頂を座とせり、最後臨終の時までもしれうを定め、常に其人を守護し給ふ。九曜七曜は、酒飯ともなれり、その人をはらんとする時、北斗さきだち座をはなれ出で給ふ、玉のいづるを人光物の出づると申す事にて候ふ、かゝるめでたき法も七年の兼行五年三年して、いかに悟るといへども、百日の精進潔斎にてこそ、伝法灌頂はつかまつり候へ、かくの如く候ふ間、下界の衆生この法をいかでかたもち候ふペき。又座禅修行と申すは、達磨いにしへの智人達、樹下石上にこもり、岩の上を座と定め、膝をくみ手をむすびて、三業をしづめ身なはたらかさず、七年五年三年通して得法仕り侯へども 未世の衆生は風の梢を鳴らすがごとく、海の波の荒れたるごとく、散乱疎動の心なれば、いかでかたすやくかゝる座禅をば仕るべき、此ことわりを存知し給ひて、釈尊世に出でさせ給ひ、すでに八万四千の教法を説き給ふ、中にも大無量寿経に云ふ、末法万年余経悉滅弥陀一教利物遍増と説きたまへり。此経を善導釈してのたまはく、万年三宝滅此経住百年爾時聞一念皆徳生彼と説きたまへり。かゝる御事にて候へば、源空浄土門を取り立て候へば、外道の法をとりたてて、衆生を地獄へおとさんと仕るとあつて、山中を追ひいだされて候へば、いかでか聖教の所判のまこと尊き処を背くべき、三世の諸仏は十万仏土を建立して、衆生をみちびかんと誓ひましませども、余仏は顕密兼学浄行持律のものをこそ迎へんとは誓ひましませ、西方極楽の阿弥陀仏は十悪五逆の衆生氷く三途にしづみて浮ぶまじきかとなげかせ給ひ、五劫思惟の間結跏趺坐し給ひて、四十八願をおこさせ給ひ、第十八の願に六字の名号を造らせたまひ、乃至十念の願をおこしたまへり。そも/\五劫思惟と申すは、一切の深き事高さ八十里の磐石を天人のあまの羽衣をきて、三年に一度あまくだらせ給ひて、此岩を撫でてはのぼり/\、皆なでつくすを一劫と申す也、又八十里の箱に芥子といふ物の菜種よりも小きを、此箱に満ちたらんを、天人三年に一度下りて、一つづつ取りつくせるを一劫と申す也、如此方八十里の岩をなでつくし、八十里の箱の芥子を取りつくすことを、五劫思惟とは申す事にて候ふ、是ほど久しく案じまします功能いかほどとか思召し給ふ、念仏をば立つ子這ふ子をさなき者まで、南無阿弥陀仏と申すはやすき事にて候へども、仏の兆載永劫の間衆生を仏になさんとして、案じましけるあり難さよとて、南無阿弥陀仏と申すこそ八十億劫の罪の重罪消滅するとこそ候へ、中にも一念十念の功能のふかき事、喩をとつて申さんに、高堅樹と云ふ木はおひのぼること一日に百丈づゝ、百年おひのぼる、此木の高さに金銀七宝の塔をくみたらんと、一念の功能と対し候へば、高堅樹の高さの七宝の塔の功徳は十分の一も念仏一念に及ぶべからずと見えて候ふ。又毘闌風といふ風は大力の者箭を射出したらんが如く、東西南北をめぐり、おこたらず百千年吹きゆきたらん遠さの間に、金紙七宝の堂塔をひとしく造りたらんと、一念の功徳と対すれば、毘闌風の吹きゆきたらん跡の堂塔は、十分一も一念の功徳によりつくべからずと見えて候ふ。さて十念の功徳は天竺に●河と云ふ河あり、無熱池の池より流れたる河也、広さ四十里、深さ四十里あり、水上より湊まで百万三千六百里流れたる河なり、此河のいさごの数の金銀七宝の堂塔を造立したらん功徳とくらぶれば、かの●河の沙の数の堂塔は、千分の一も十念の功徳には及ぶべからずとこそ見えて候へ、又一大三千世界の草木をあつめて灰にやきて、是は其山の木の灰、かれは草の灰と仏はしろしめせども、一念十念の功徳ときつくしがたしと仏は説きたまふ、中にも此法は女人のためにおこし給ひたる願にて候ふ、三業をしづめて耳をそばだて御聞召し候へ、女人は三世の諸仏に棄てられて、仏と成るべきことなし、吾朝は小国たりといへども、女人のまゐらぬ所おほく候ふ、吉野には不動院、比叡山には坂本をかぎる、高野山には不動坂、天王寺には宝塔、善光寺には堂の内へはまゐれども、御格子の内へはまゐらず候ふ、あさましと云ふばかりなし。されば涅槃経には女人地獄使永断仏種子外面似菩薩内心如夜叉とのたまへり、此文の心は女人は地獄の使永く仏子の種をたつ、外面は菩薩に似たりと云へども、内心は夜叉のごとし、同じき経の二十一巻にのたまはく、諸有三千界男子諸煩悩合集以一人女人為業障とのたまへり、此文の心はあらゆる三千世界の男子のもろ/\の煩悩を合せ集めてもつて、女人一人の業障とすとのたまへり、同じき経の二十三巻に、女人大魔王能食一切人現世作纏縛後生為怨敵とのたまふ、此文の心は女人は大魔なり、よく一切の人をくらふ、現世には纏縛となり、後には怨敵となるとのたまへり、心地観経の文の一の巻四丁めにとき給ふ、三世諸仏眼堕落於大地法界諸女人永無成仏願とのべ給へり、此文の心は、三世の諸仏の御眼は大地に堕落すと云へども、法界の女人ながく成仏の願なし、又阿●経の一の巻二十一丁にのたまはく、一見於女人永結三途業、何況於一犯定堕無間獄とのたまへり、此文の心は一度女人を見れば、長く三途の業をうく、いかにいはんや一度をかしぬれば、定めて無間獄におつと云へり、法華経の五の巻にも一者不得作梵天王、二者帝釈、三者魔王、四者転輪聖王、五者仏身とのたまへり、此文の心は女人一には梵天王となる事をえず、二には帝釈とならず、三には魔王とならず、四には転輪聖王とならず、五には仏身とならずとのたまへり。されば女人は三世の諸仏に拾てられたり、女人の頂に鼎あり。肩に火毒のほむらあり、腹に剣ほくのつるぎの山あり、かくのごとくの不浄悪業のとがを心中につゝめるによつて、女人をば深く忌まれけるものと説きたまへり、されば女体の御門は此涅槃経を御覧じて不当の仏の仰せかな、さながら女人の悪名をたて給ふ事の口惜しさよとて、涅槃経四十巻をみな焼きはらはせ給ひたりしを、御子の徳一大師碩学にてわたらせ給ひしかば、空に覚えて書き留め、日本国にひろめ給ひし御事也、女人の業障の深き事かくのごとし、浅ましきことかぎり無しといへども、阿弥陀如来広大無辺の御慈悲にて、四十八願の中に第三十五の願にのたまはく、設我得仏十方無量不可思議諸仏世界其有女人聞我名号観喜信楽発菩提心厭悪女身寿終之後復為女像不取正覚と説きたまへり、此願の心は、たとへわれ仏をえたらんに、十方無量の不可思議諸仏の世界に、それ女人ありて我名号をきゝて喜びたのしみ、菩提心をおこして女身をいとひにくまんに、命終りて後、又女像とならば正覚をとらじと誓ひ給へり、まさに知るべし、又女人成仏の願成就の文に云く、すなはち弥陀の本願力によるがゆゑに女人仏の名号を称して、まさしく命終の時、女身を転じて男子となる事をえて、弥陀の御手をさづけ菩提身をたすけ、法華の上にまします仏にしたがひて、往生して仏の大会に入りて、無生忍を証語す、又一切の女人もし弥陀の名願によらずは、千劫万劫恒沙劫をふるとも、つひに女身を転ずる事を得べからず、まして知るべし、いま道俗ありて女人浄土に生まるゝ事をえずといはゞ、よく忌悪すべし、信ずべからず、女性たちよくよく此法を聞きたもち念仏申させ給ふべし、油断して地獄へおちさせ給ひ候ふな、それ女人の悪名をたて申すにはあらず、又天女成仏経には女人の方人をせられて候ふ、天なくして雨ふらず、地なくして草木生ひず、天と地とのめぐみによりて、草木は出生し候へば、それにたがはず、女人は三千世界の仏の蔵とこそ説き給ひて候へ、女人なからんにはいかでか仏のたねをばつぐべく候ふ、されば文には女人誹謗罪仏誹謗断とて、女人一人を演じつれば、諸仏を謗ずるとも説けり、たのもしきかなや。又観無量寿経に三輩をわけられたり、上輩の念仏は読誦大乗解弟一義如法如説に、勇猛精進にして一日七日一心不乱に申す念仏は、大乗の念仏ときこえて候ふ、中輩の念仏は戒を保ち時をして申す念仏にて候ふ、下輩の念仏は阿弥陀仏の仰せに、そも/\人となるは種々の不浄をあつめて人とはなれる物なり、身のきたなきこと大海をかたぶけてすゝぐと云ふとも、いかでかきよくなるべき、阿弥陀仏の誓には不論不浄、不論心乱、他念仏陀則得往生とのべ給ふ。されば汚穏不浄をもきらはず、行住座臥時所諸縁とて、ねてもさめても他事なく念仏をだに申せば、三輩中輩をこえて、浄土の往生をとげんこと何のうたがひ候ふべき、又念仏誹謗の者は阿鼻大城におちて、長く苦悩をうく、かへす/゛\も諸法を謗ずることなかれと、迦陵頻の御声にて、午の時より説法始まりて酉の時まで御説法ある。近きも遠きも御声の及ばずと云ふ事なし。聴聞の人々も袖をぬらさぬはなかりけり。鐘うち鳴らしゆすよりおりさせ給へば、公卿殿上人輿車よりおり、又武士等は狩衣束帯の袖を合せて、各礼拝したてまつる処に、悪僧進み出でて聖人に申すやう、謗法の罪人は阿鼻大城に堕ちて長時に苦悩を受くると説き給へるは、いづれの経の文ぞやと問ふ。聖人とりあへず大仏頂経の文なりと答へ給へば、此僧合掌して後生たすけ給へと、聖人を礼したてまつれば、粗鼻うそやきてぞ見えたまひける。さて其後あぶらくらに入れ奉り、もてなしたてまつる。御布施には大将殿より御馬六百疋、北の御方よりは長持三百枝、その外大名達御馬十疋二十疋、長持十枝二十枝まゐらせらるれば、いくらといふ数をしらず。されども奈良へみな修理料に参らせられて、聖人の御徳分には一つもめされ給はず。さてしもあるべき御事ならねば、いそぎ大将殿関東へ下向まし/\き。秘すべし/\。
享録四年二月二日書写畢
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深沢秋男 MAIL: kinbun@rivo.mediatti.net
菊池真一 MAIL: kikuchi@konan-wu.ac.jp