鳥部山物語
(日本文学大系「お伽草子」による。振り仮名省略。入力:菊池真一)
鳥部山物語
とにかくに常ならぬ物は此の世なりけり。こゝに先つ頃武蔵国のかたへに、物学ぶさうさなむありける。その司なにがしの和尚とかや聞えし人の御弟子に、民部卿と云ひしは、容色いと清げに心の根ざし深く、我が家の事ならぬ、史記などやらのかたき巻々をだに、かた/\にかよはし読み聞え給ふれば、こと人よりもすくよかに覚え給ひ、かたはら近く召されて年頃仕へまつりぬ。常は唯松風に眠りを覚し、谷水に心をやりて、深き法の水上を尋ね、窓の蛍のむつび、枝の雪をならして、法の燈をかゝげつべきさきらあればとて、かたみの人もいともてなすなるべし。さればその頃九重に何の御修法とかありて、国々より尊き僧達の参り集ふ事なむ侍りける。此の和尚もその数に召されて上り給ふべき定まりければ、上・中・下、旅よそひとて罵り合へり。頃は夏立つ初めなれば、木々の梢も茂り合ひ、庭の千草も色そへて、いと涼しげなる宵のまの、月もやがて草葉にかくれ、武蔵野の名残覚えて、紫のゆかりあれば、あとの事など何くれと云ひこしらへぬる中に、短き夜半のうき枕、結ぶともなき転寝の、夢を残して明けはなれむとするころ、あづまの空を立ちて、日数十日余りに都になむつきぬ。何事も衰へたる世といへど、猶九重のかみさびたる様こそ此上なうめでたけれ。かくて程経ぬれば御祈りの事果てぬれど、猶帰るべき程もゆるぎなければ、その事となく月日を送りける程に、年も返りぬ。空の気色名残なくうらゝかに、雪まの草も青み出でて、おのづから人の心ものびらかに、まいて玉をしける御かたがたは、庭より初め見所多く、みがきましぬる有様、まねびたてむも言の葉足るまじくなむ。いつしか都近き四方の山の端霞のよそになり行く頃は、まだ見ぬ花もおもかげに立ちて、同じ心の友どちと打連れ、北山のかたへと志しける道の程に、老いたる若き、たかきあやしき、行き来る袖も色めき合へる中に、さわやかなる車、かたへの木陰に寄せて、つき従ふをのこなどさしよりつゝ、「いとをかしき花のけしき御覧ぜよ。菫交りの草もなつかしく。」など聞えければ、おり給へる、よそほひ、年の程まだ二八にも足り給はぬほどなるが、色々に染め分けたる衣、いとなよやかに著なして、眺め給へるやうだい、頭つき、うしろでなどこの世の人とも思はれず。あてやかなる様はかりなし。民部ほのかに見てしより、そゞろに心まどひて、かへさのあとも慕はしきまでなむ見とれたるを、ともなふ人人も、めとがむる程なれば、さすがに人のいひ思はむも浅はかなればと、心にこめて立帰りしより、おもかげにのみ覚えて、昼はひめもす夜はすがらに嘆きあかし、今は心も乱れ髪の、いふにもあまる恋草は、つむともつきぬ七車の、又めぐり逢ふこともやと、至らぬくまもなくまどひ歩きて求むれど、一人こがるゝ捨舟のさをさして、いづこと教ふるよすがもなければ、空しく立ちかへりけるが、四条の坊門とかや打過ぐるに、公卿のすむ家と見えて、奥深く木立もの古り、何となくなつかしく覚えければ、門のかたはらにさし入りたるに、かたちいとたぐひなきちごの、梅の技に蝶鳥とぴ違ひ、からめきたるを打著て、散りすぎたる花の梢をつく/゛\とながめて、
移ろひてあらぬ色香におとろへぬ花も盛りはみじかかりけり
と口ずさみながら、そばなるかうらんにそと凭りかゝりて、つらづゑつき給へる様、肌寒きまでなむ覚えける。つく/゛\と打ちまもれば、夢にもせめてと恋ひ慕ひし、北山の花のえにし、露まがふべくもあらず、胸打騒ぎて、なほ立寄りければ、見る人ありと苦しげにて、やがて紛れ入りぬ。これや如何にとしばしは立ちやすらひはべれど、我のみしれる夕暮の、鐘の響もつれなくて、早日も暮れぬれば、いつまでかくてもと、たどる/\打ちかへりぬ。今はひたすら病の床に臥して、和尚に仕へ物する事もおこたり給ふれば、急ぎ薬の事などとかくさたし侍れど、聊かもしるしなし。雨しめやかに降り暮したる夜のいと寂しきに、年比つき従ひしものなむありしが、なやめる枕にさしより聞えけるは、「過ぎにし花の夕まぐれ、ほのかにかげを見る月の入り給へる空、くはしく知れるものはべり。何がしの中納言とかやいへる人の御子なり。」とそゞろに語るを打聞きて、重き枕をもたげ、「如何にその人の事いひ寄るべきよすがやある。」と尋ねければ、「さればとよ、その住み給ふ東にさゝやかなる家の垣に、苔むし軒にしのぶ交りに生ひ茂りて物わびしげなるを、過きがてにそと見入りはべれば、主六十あまりにもや侍らむ、埋火の下に、手の裏を打返しかたむきゐけるを、よく/\見れば、はやうより知れる人にてなむ侍り。さしよりて越し方の事ども打語らひしに、かの君の事まで問はず語りしいでて、いとねもごろにものし侍るぞや。御なやみもおこたり給ふほどは、しばし彼の家に立越え給ひて、かりにも住ませ給はば、玉だれのひまにも御心を伝へ給ふ程の事はなどやなからむ。」とぞそゝのかし侍れば、民部打ちうなづきつゝほゝゑみて居たる所に、これも和尚に親しく仕へものする式部といふ者さぶらひ来て、「なやみ如何侍る。斯くのみ籠りては気も疲れいとゞ心も結ぼほれなむに、何処にもあれ、さるべき屋ひとつ求めて、心をもなぐさめ給へかし。」となれても聞えければ、嬉しとは聞きゐたれど、あわたれたるわざは如何にと、おいらかにもてなし、「さればよ、みづからもさは思ひなから、和尚の御心のはかり難さに。」とまみいとたゆげになれば、「いかで悪しくはおぼし給はむ。聞え上げ侍らむ。」とてそのまゝ立出でぬ。とばかりありて又まうで来り。「あらましのこと聞え侍れば、そこの心に任すべき由のたまひて侍るぞ。早く人して宿の事ものし給へ。」といと睦じく語らひ置きて出でぬ。民部嬉しさに、少しは晴るゝ心地して、具足とりしたゝめ、かの蓬生の宿へ立越えぬ。主いともてなして、日数経るまゝに互に心おかずなりにけり。又かの翁が子に、年いと若きが、情あるものにて、常に寄り来て慰め侍るを、ある明方かたはらに招きて、はやくの事ども打語らひければ、をのこもいと哀れと思ひて聞ゆるやう、「やつがれこそその御父なりける人の御許へ年頃参りなれて、よく/\知り侍れ。かの児の御事は二人の中に只一人にて、此上なうかしづき給ふなり。御名をば藤の弁と申し侍り。御かたち世にこえ、御心ざまも人に優れ給へば、父母限りなくいとほしみ給ひ、おぼろげにては外へも出させ給はず、あけくれはたゞ深き窗のうちにて、和歌の浦なみに心を寄せ、手ならひなどのみ事とし給ふぞや、やつがればかりぞ、より/\はとぶらひ聞えて、つれ/゛\をも慰め侍る。ひたすらに思し給ふもいとほしく見奉れば、いひ寄りてこそ見侍らめ。うけひき給はむは、はかりがたけれど、水ぐきの岡のかやはら靡く許りに、御心づくしの程をも告げ知らせ給へ。」と聞えければ、民部限りなく嬉しと思ひて、いとかうばしきみちのく紙の、少し年経てあつきが黄ばみたるに、
過ぎがてによその梢をみてしより忘れもやらぬ花の面影
月の夜も汐のひるまも、波風のたちゐにつけてかわかぬは小島の蟹の袖ならでも、などかきすさびたるを、かのをのことりて、その日の暮れかゝる程に、西の家にまかりけるに、人々珍らしみあへりて、世の中の物がたり、この頃あることのをかしきも怪しきも、これかれ打語らひはべるに、君はいと心にくく、秋の哀れ思召したまふにや、白き色紙に荻芒乱れ合ひたる絵を、二なくかかせおはしまし給ふ。さしよりて、「いかに御筆のあとはあがらせ給ふにや、このほどはさはる事ありておとづれも聞え侍らず。」などいひゐたるに、人人御前しぞきたるほど、例の文とりいで、「斯かる事はいひ出でむも、さすが苦しき事ながら、せちなる思ひに悩み給ふもいとほしく、又あながちに頼まれ侍るもいなみ難さに。」とて、はやくの事どもくはしく語り聞えけれど、たゞ顔うち赤めて、とかくの事ものたまはねば、ことわりとは知りながら、「人のかくまで恋ひ悲しみたまふ文を、いかでか空しく捨て給ふべき。情なのわざや。」とかきくどきければ、机のかげに少し押開き、尻目にそとみやり給へるを、ついでよしと思ひて、「たゞひと言の御返しを。」とせめ聞えければ、「たゞいつはりの人の世に、行方も知らぬあだ人の。」ともてはなちたまへるを、とかくいひ慰めける中に、外より来る人あれば、さらぬよししてその夜は空しく立帰り、ありしことども民部に語り聞えければ、いよ/\空になりて、「猶しも聞えさせよ。たゞ一文字の言の葉だにあらば、限りあらむ道のつとめにも如何ばかり嬉しかるべき。」などむかふごとに責め聞えければ、又立ちこえて、「ひと日のあからさま事をば、如何思し給ふにや。人づてのみの苦しさはとて、みづからさへ恨み給ふ涙の雨に、よその袂も所せくこそ。あまりに人の情なきも、後は中々あたとこそなれ。御歌の返しばかりは。」といろ/\に勧めければ、「われも岩木ならねば、人の哀れは知りながら、うき名もさすがつゝましくこそ。」とて、
見てしより忘れもやらぬ面影はよその梢の花にやあるらむ
とばかり手習ふやうに書きすさぴたるを、やう/\こひとりつ、、急ぎ立ちかへり、「御返し。」とて差出せば、とる手も遅しととく押開きて見れば、ふくよかにくづし書きたるが、鳥の跡のやうにて、若々しうよくもつゞけやらぬほど、おひさき見えていと美し。されば猶たへがたさに、又おし返して、
散りもそめず咲きも残らぬおもかげをいかでかよその花にまがへむ
たゞおほかたの色香ならねば、まがふべくもあらぬを、いかなる風のつてにても、など様様にかきくだきけるを、中だち又立ちこえ、とかく聞えければ、此の歌をくり返し詠め給ふが、「よしや人のもりきかば中々なれど、とにもかくにも。」とて、
恥かしの杜のことのはもらすなよつひに時雨の色にいづとも
何事も/\悪しからぬやうに、など聞え給ふもいとほしく、民部にとかく聞えければ、悩みいつしかおこたりながら、ねぬなはの苦しきものは、忍の浦のみるめしげくて、日ごろを過し侍りけるが、如何なる人めまぎれにや、ある夜ひそかに児の住みたまふ方へ忍び入りたるに、わざとならぬ匂ひしめやかに打薫りて、いける仏の御国ともいはまほしきに、妻戸の少しあきたるよりみ入れたれば、花紅葉散り乱れたる屏風引きまはし、微かなる燈の下に数々の草紙ひろけて、心静かにうちかたぶき給へるに、こぼれかゝりたる鬢のはづれより、にほやかにほのかなるかほばせ、露を含める花の曙、風にしたがへる柳の夕げしき、かの北山にて見初めしは、猶ことの数ならずぞ覚えける。おしあけて入りたるに、のどやかにもてなしたるけはひ、見はてぬ夢の心地しながら、傍に寄り添ひつゝ、辛きにも嬉しきにも、涙まづさき立ちて、「ありしながらの心づくしはおしはかり給ふも、猶あさくや。」などおしのごひ聞えけれど、人はいとそむきて恥らひ給へる顔の色あひ、ものによそへば露重げなる秋萩の、枝もたわゝに咲き乱れたるよそほひ、いとほしくも美しなどいふも愚かなれば、うつし心もなくなりて、日頃の憂さの限りも、逢ふ夜のうちにて語らひ居たるに、なにのつらさにか、別れを急ぐ八声の鳥も、はや声々にうちしきれば、おのが音につらき別れとうちわびて、引別れぬるきぬ/゛\の、袖の涙も所せく覚えけるに、有明の月のかたみがほなるも、猶かきくらす心地して、いとなつかしき袖のかをりも、今宵は常ならぬ心地して、心ときめきせらるゝに、屏風少し引きそばめたるに、やをら押しやりて見れば、早いとう泣きしをれ給へるなりけり。ねんじあへず、うち泣かれつゝ、かたはらに添ひふして、「これや如何なる宿世のなすわざならむ、御心のまことしあらば、今の情な忘れ給ひそ。」とより語らふ折しも、月影のほのかに南の窓よりさし入るを見て、民部、
いかばかり月には影の慕はれむ曇る夜はさへ忘れやらじを
とさぐりもよゝと止め難きを、弁の君もいとしめりたる眉おし拭ひ、とばかり見やりて、
如何にせむ涙の雨にかきくれてしたはむ月の影もわかねば
おなじ限りの命ならずば、と命に代へてもしばし止めまほしき今の別れなり。されば昔語にも、「千夜を一夜に。」といひしもさる事なり。まいて秋ならぬ夜の短きは夢よりも猶ほどなくて、こと葉を残す鳥の音に、いとゞ心も空になれば、互に手を取り交し、ほどは雲ゐにと契りおきつと、涙と共に立別れぬ。やがてあふ坂山こえかゝるも、又いつの世にとなげかし。
おもかげよいつ忘られば有明の月のかたみの今朝の別れに
とむせかへれば、君もたぐひなき哀れに、
かぎりとて立ちわかれなば大空の月もや君のかたみならまし
と互にかへり見がちにて立別れぬ。其の後はなほ浅からぬ契りとなりて、より/\問ひ交しぬる程に、やう/\春も暮れぬ。折ふしの移り行くは世の中の習ひなれど、今更かへうき夏衣の日もたち重なりて、早あづまの方へおもむく頃にもなりしかば、故郷のつとにとて錦を翳す花衣の、色めきあへる中に、民部一人人知れぬ物思ひに、おき所なき袖の露、紅の千入も浅きまでになり行きけれども、とゞまるべき道ならねば、ともに出立ついとなみの中にも、今一度しめやかに打語らふ事もがなと、思ひ忘れぬほどに、早あすなむ都の地を立去るべきよし事定まりければ、今宵ばかりの逢ふ瀬に、涙の淵もせき止め難く、遂にかかるうきにもならはで、そゞろごとして物も覚えぬさまなり。中だちとかくこしらへて、二十日あまりの月のやう/\さしのぼる頃、人をしづめて例の妻戸より忍び入りければ、五月まつ花橘の匂ひならねど、
いつとなき世のはかなさを思ふにもいかゞ越えうき逢坂の関
やう/\日数経る程に武蔵国に著きぬ。都には立別れ給ひしより、せめて枕の移り香も人に添ひぬる心してければ、そのひと日二日は起きも上り給はで、袂も朽つるばかり泣き悲しみ給へど、身より外には誰か哀れともいひあはすべき。少し慰むかたとては、かの中だちせしをのこばかりぞたえ/゛\訪ひ来て、ありしことどもひそかに打語らひ侍りしが、それさへいつしか疎くなりて、事とふよすがもなければ、ひとり心に恋ひ悲しみて、起きもせず寝もせぬ床に夜をあかし、昼は閏の中ながらも、そなたの空を眺めやり、吹き来る風の訪れもいとなつかしく、山の端近く出づる月のくま澄みのぼるにも、「月には影の。」と詠め給ひし、その面影、ひしと身にそひて、恋しうのみ思ひまされりければ、かたみも今は仇なれと、恨めしき中にもさすがに又慕はれて、
詠めやる夕の空ぞむつましきおなじ雲ゐの月とおもへば
とひとりごちて、などかうしも心弱きさまにと、人めを思ひ返せど、いやまさりにのみ苦しければ、つや/\人にも見え給はず。たゞ籠居がちなるを、父母はいと悲しき事に思ひて、神仏に祈り、かぢなど様々行ひ給ふれどそのしるしなく、たゞあながちに物思ひ給へる気色にて、をり/\胸せき上げて、いみじう堪へ難げにまどひ給ふ。人々いかにと心やましく思へる中に、この児のめのとなるもの、御枕により添ひつゝ、鬢の髪なでて、「あなうつゝなや。いかにさは心うきめ見せ給ふぞ。まだ二葉の昔よりおよすげ給ふまでおほし立て参らせて、猶栄え行く末のめでたきを、見奉り侍らばやと思ふにぞ、あす知らぬ命も惜しまれ侍る。されば何事にもあれ、御心にあらむ程の事、我には隔て給ふべきかは。かく日を経て悩み給ふ、かつは御心弱さにこそ。」といろ/\に慰めければ、少し枕を抬げ、いと苦しげなる声して聞え給ふは、「そこの事は我もいさゝかおろかには思ひはべらず。、心にあらむ程の事、何かはまばゆかるべきなれど、いひ出でてもその甲斐あらばこそ。とてもあへなき事故に、人のためうき名とり河のよしや涙に沈み果つともと、深く念じて日頃は過し侍りしが、今は玉の緒もたのみ少く侍れば、心の中にいはではてなむも、よみぢうたてしさに語り侍る。あなかしこ。ならむあとにもゆめもらす事なかれ。」とて、逢ひ初めし昔よりの事ども打語りつゝ、限りなくむせび給ふ。いといときなき御心に、かくまでおぼし給ふ事のふしぎにも哀れにも覚えて、ともに涙を落しつゝ、「さる事とこそかねて思ひ侍れ。かしこくぞ御心をも問ひたてまつれ。此の世の中になきならひかは。さまでつゝみ給ふべき事にもあらざめれど、御心弱さにこそかく病みくづほれ給ふなれ。」と急ぎ父母につげ聞えければ、こよなうけいめいのたまふやう、「さてもいかなる物はぢにか、さまでは心にこめけるやらむ。おろかの事よ。その事ならばこゝに迎へむになどかはかたからむ。」とて、「人してはたがふ事こそあれ。そこには急ぎあづまへ下りて、具し奉れ。」と仰せければ、めのともいと嬉しき事に思ひ、又御枕に立ちより、「父母の仰事なむかうむりて、その恋ひ慕ひ給ふ御ゆくへたづねに、唯今あづまへ下り侍るぞ。急ぎ具し奉り侍らむ。しばしと思し給ひて、御心をも慰め給ひて。」などいさめおきて、夜を日に下りつゝ、かの住みかを尋ね求めて案内をこひ、民部に対面して、「かう/\の事侍るをば、いかに哀れとは覚え給はずや。」といふよりまづ涙にむせびければ、きく心地物も覚えず、しばらくありて聞ゆるやう、「さればよ、さる事侍りしを、よろづ世の中のつゝましさに、しるくいひ出づる事の叶はでうち過し、そこにさへ知らせ侍らざりしを、今かうたづね来り給ふ事のおもてぶせさよ。我も都を出でしより、片時忘れ参らする事は侍らねど、誰も心に任せぬわたらひにて、徒らに今日までは過しつれ。せちなる思ひのよし聞くもいとたへ難くはべり。いかにして逢ひ見侍らむ。」とて、やがて立出で、昔なやめるころ、いとまめやかに慰めける同じ友の許に行きてたばかるやう、「年頃心尽しに思ひおきつるゆかりの者、此の程都近き所まで上り侍るが、はからざるに病に犯されて、世の中も頼み少なになり行くまゝに、そと聞えあはすべき事のあれば、命のあらむ程今一度ととみにつげこし侍り。哀れそこの計らひにて、三十日あまりの暇賜はりて、たゞ一め見もしみえばや。」と嘆くを、「いかで語るべき。」とて、やがて和尚へ聞え上げければ、「ことわりなれば。」とて、御暇賜はりぬ。二人のものいと嬉しき事に思ひて、時しも秋風の涙もよほす音づれに、虫も数々泣きそへて、草の袂も露深く、月をしわくる武蔵野を、まだしのゝめに思ひたちぬ。やう/\行けば、富士の高ねにある雪も、つもる思によそへられつゝ、
きえがたきふじのみ雪にたぐへても猶長かれと思ふいのちぞ
など胸よりあまる事ども口すさみつゝもて行く程、清見が関のいそ枕、涙かたしく袖のうへは、とけてもさすが寝られぬを、海士の磯やに旅寝して、浪のよるひるといへるも、我が身の上に思ひ知られて、おほかたならぬ悲しさ又何にかは似るべき。
中々に心づくしに先だちて我さへ波のあはできえなむ
わりなさのあまりなるべし。日もやう/\重なるまゝに、つち山といふうまやにつきぬ。あくる空は都へと志し喜びあへる中にも、いとゞ心やましきに、「京より。」とて文もて来り。あはや如何にと胸打騒ぎて、とく開き見れば、「悩める人日にそひ弱り行きて、昨日の暮れかゝる程になむ絶え入り侍りぬ。」とあるを見るにめくれ心まどひて、これやいかにと夢のわたりのうき橋をたどる心地なむしける。民部涙のひまなきにも、「今一度の頼みにこそはる/゛\たどり来しに、ひと日二日を待たで消えにし露のはかなさよ。斯からむとてあらましにや。「同じ限りの。」とは歎き給ひにけむ。さればわれ故空しくなりし人を、いまはのきはにさへ一目見給はぬ、そこの心の中おしはかるもうたて覚ゆ。むつきの中より見そなはし給ふ人なれば、いかばかりあへなしと思ひ給はむ。我もこれまで立越えし上は、急ぎ都へのぼりて、便りなく嘆き給はむ父母の御心をも慰め、又なき人の後のわざをも、いとなみ侍らばや。」と聞えければ、「ありがたき御心にこそ。かくまで物し給ふ上は、なにし恨みか侍らむ。たゞ亡き人の命のもろさこそ、とにもかくにもせむかたなけれ。」とて、又泣き沈みけるけしき、いとわりなしともわりなし。民部もたえ/゛\はな打ちかみて、「後れさき立つはかなさは、大かたの世のさがなれど、斯かるためしこそ聞きもならはね。」と打嘆きつゝ、あくる日の暮れかゝる程に、都になむつきぬ。父はまいて母はおぼろげの人には見え給はぬを、几帳の外まで走り出で、民部が袖にすがり給へば、めのとなどは、かたはらにたれふし、「つらし、心うし。」となげく声、ことわりに忍び難し。やゝありて、父の卿めのとなるをのこに向ひて、宣ふやう、「ひと日こゝを出でしより、少しは心も慰むげにて、なやみいさゝか軽らかに見えしが、又日にそひて重り行き、はや薬など物すべき頼みもなくなりて絶え入りけるを、よびいけなどしけれども、情なく昔語になししなり。今はのきはの心の闇、母が歎きのやるかたなさ、たゞおしはかれば、歎きて帰らぬ道なれば、鳥部山のかたはらにたゞひとりのみ送りすてて、空しき煙とのほせしは。」とて、又むせかへり給ふを見て、人々声をさゝげてさと泣きにけり。民部の君ひとまなる所に入り見れば、空しくぬぎ捨てし衣、朝夕手なれし調度などもさながら残りて、いとゞ涙のつまとなりぬ。又かたはらを見れば、なれたる扇に、「こひむ涙の色にゆかしき。」などいへるふることども数々書きて、
日影まつ露の命はをしからであはできえなむことの悲しき
と書ける筆のあとも、いたうよわり給へるをりぞと覚えて、文字も定かならず見ゆ。民部胸ふさがり、ありし姿のつとそひて、いつの世に怠るべくもあらず。今はたゞ惜しからぬ命なき人の為にすてむ事をひたすらに思ひこめけり。さればうきにたへぬなみだ川、流れてはやき日数もけふは七日になりぬとて、父の卿めのとなどありし所にたどり給ふれば、民部も同じくまうでけるに、鳥部山の煙それとあかねどいとむつましく、あだし野の露哀れと見るにつけても、君があたりの草の葉に思ひ消えなむ命の程も、中々今は嬉しくて、
さきだちし鳥部の山の夕けぶり哀れいつまできえ残れとか
父の卿、とりあへず、
さきだちて消えし浅茅が末の露本の雫の身をいかにせむ
さて民部は泣く/\三昧のかたに行きて、空しきしるしを見るにも、まづ涙にくれてしばしものも覚えず。やゝありて花など手向けつゝ、心静かに念誦し終り、生きたる人にもの聞ゆるやうに、「さてもしばしを待たで世をはやうし給ひし事のうたてさよ。いかばかりか我をつらしと覚すらめ。誰も心のまゝならねば、此の世の縁薄くとも、来む世は必ず同じ蓮のうてなにと思ふあまり、罪深き迷ひなれど、世々を経て思ひなれにし事の、今更あらためがたければ。」などうち嘆きて、ふところにありし守刀をひそかにぬきそばめ、今はかうと見えしを、そばなる人早く見つけて、「こはいかに。」といだき止むれば、中納言を初め人々とりつき、まづ刀をば辛うじて奪ひ取りぬ。中納言は泣く/\民部に宣ふやう、「なきが事は今は甲斐なし。そこにもなくなり給ひなば、なきが嘆きにとり重ね、又もうきめ見せ給ふか。御こゝろざし侍らば、あとのわざいとなみ給はむこそ消えにし者の罪も軽からめ。」とさま/゛\にいひ止め給へば、本意もとけず。それより武蔵野へも帰らず、北山のかたはらに柴の庵を引結びて、墨の衣も色深く、ねぬ夜の夢もさめけるにや、
あらぬ道に迷ふも嬉し迷はずばいかでさやけき月をみましや
と詠めて、しばしはこゝにおこなひしが、夕べの鐘のうちきそひて、またいづちへかたどり行きけむ、おぼつかなき事にこそ。
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深沢秋男 MAIL: kinbun@rivo.mediatti.net
菊池真一 MAIL: kikuchi@konan-wu.ac.jp